2012年5月27日日曜日

萱生町環濠集落

さて、バスに乗って先を急いだのには理由があります。
実は30年前にスケッチした、のどかなあぜ道に建っていたあの地蔵とお寺をもう一度見たいという気があったからです。
歩いているうちにそれに出くわせば、と思っていたのですが、どうも山道の多い大神神社あたりの風景ではなさそう・・・地図を見ると山の辺の道が田畑の間を辿るのはどうやら竹之内環濠集落のあたりだと気づいたのです。

バス停を降り、その集落をめざして歩くこと30分。
周りにはあぜ道と古い民家こそあるものの、やはりあのあたりの風景はありません。
それでも何か絵になれば、と探しましたが、「環濠」とは名ばかりで現在はほとんど埋め立てられあまり魅力は感じられません。

そろそろ時刻は夕暮れ。
帰りの時間を気にしつつも、ぎりぎりまでこの道を堪能しようと、今度は萱生(かよう)町の環濠集落を目指しました。
またまた歩くこと30分。この日最後の一枚がこの風景です。

「環濠集落」は戦国時代の農民が村を守るために周囲に水を引いてできた村だそうです。
竹之内と違いこちらはまだ水辺に浮かぶ民家の景観が残っていてこの地方ならではの風情を感じます。

今日は我ながらよく歩きました。
30年前の記憶を確かめることはできませんでしたが、山の辺の道の魅力は十ニ分に堪能できた気がします。

2012年5月20日日曜日

二上山

大神(おおみわ)神社から歩くこと30分、桧原(ひばら)神社に到着しました。
ここまでひたすら山道だったので、普段運動不足の僕にはかなりの重労働。
神社の境内に詰めているボランティアガイドの方に尋ねると次のお目当て「長岳寺」まではまだ1時間もかかるとのこと。

思案のあげく、思い切ってバスを利用し、途中をパスすることに。
そして、国道へ下る途中で出会ったのがこの光景。
空に霞むふたこぶの山、銀色に光る民家の瓦屋根、そしてまわりは眩い新緑と5月の奈良らしさがぴったりと納まります。
これはいいと、疲れも忘れスケッチをし始め、描くこと約1時間。
満足感とともに得られたのは「棒のようになった足」。
そう、この構図は立ったままでないと、見られないのです。
この後、さらに疲れた足を引きずってバス道へと歩いたのでした。


※なお、この印象的な形の山は「二上山(ふたかみやま)」と言い奈良ではとても有名な山です。
ガイドブックによれば天武天皇の子である「大津皇子」の墓があるとか。
その歴史的背景にも興味深いものがあります。僕と同様、この際もう一度勉強してみることをお勧めします。

2012年5月13日日曜日

大神神社

このブログの第2話は30年前に描いた「山の辺の道の地蔵さん」のスケッチでした。
あの時の自然ののどかさが忘れられず、今年のゴールデンウイーク、またこの道を訪れました。

以前の記憶がほとんど無いので、とりあえずJRの桜井駅から道しるべを頼りに歩くことにしました。
駅から約1時間。この「大神(おおみわ)神社」が現れます。
建築学的にはとても珍しい構成で、本来なら神が鎮座する一番大切なはずの「本殿」がありません。
あるのは人がお祈りするための拝殿だけ。
何故かというと神は正面にある「三輪山」だから・・・大自然にまさる神はないということでしょうか。

しかし、そんな理屈はさておき、この桧皮葺きの拝殿もなかなか立派なもの。
手前の御神木が落とす木陰でスケッチをしていると、真夏のようなこの日の暑さも忘れ、いつしか無我の境地に・・・信仰心の希薄な僕にも大自然への畏れがなんとなく理解できたような気がします。

2012年5月6日日曜日

二重橋

東京で外人観光客に最も有名な施設のひとつがこの「二重橋」でしょう。
ですが、案外日本人はそのいわれを知らないのでないではないでしょうか?
なぜ「二重橋」なのか。
奥の鉄製の橋と手前の石橋と二重に見えるから・・・と思っていた人ははずれ!
手前のアーチが2連だから・・・と思っていた人もはずれ。
正解は奥の由緒有る鉄橋が当初は2階建ての2重橋だったからだそうです。
今は1階建ての普通の橋なので、正確な意味での「二重橋」は現存していないのです。
この事実、僕もこのブログを描こうとして初めて知りました。
日本人としてまだまだ勉強不足ですね。