2017年7月15日土曜日

大樹の門 角館(かくのだて)


 このブログで何度も取り上げている「重要伝統的建造物群保存地区」の選定制度が施行されたのは昭和51年から。今から40年ほど前、僕が名古屋大学の建築学科に入学した翌年にあたります。
  実は僕が古い建物をスケッチし始めたのはこの制度と「町並み保存」という運動を知ったのがきっかけでした。特に妻籠、白川郷、三寧坂、祇園、萩、角館はこの制度による第一回の選定地区であり、建築を学び始めた大学生の僕に「人」と「町並み」という大切なキーワードを意識させてくれた町でもあります。
  その後どの町も直に目に触れ、スケッチをしたこともあったのですが一度も訪ねたことがなかった町が、今回の「角館」だったのです。
 さて建築を専攻した者としては期待を胸に出かけたものの、実はスケッチをする者としては一抹の不安を感じていました。武家屋敷って敷地の奥のほうにあって、道路からは門と塀しか見えないのでは?そうだったら絵になるかな?・・・というもの。
 ではさっそく武家町に足を踏み入れてみましょう。最初に出会うのが今日のモチーフ、小野田家の「門」。想像した通り見えるのは門と塀だけ。
 でも御覧の通り心配は無用でした。夏の深緑と木漏れ日。武家の歴史を語るモミや赤松の大木、格式ある門・・・画題として不足なし!。スケッチブック6号の画面が狭すぎるくらい、思い切りペンを走らせてみました。
題して「大樹の門」。40年目に味わう感動でした。


2017年6月18日日曜日

船大工の町 宿根木その5

町を流れる小さな水路。しかし実は「称光川」と言う、江戸時代からこの町に生活用水を提供し続けてきた大切な川でした。地図をよく見るとこの川と町の面白い関係に気付きます。この町の路地は不規則に方向が変わり、一見無秩序に走っているように見えます。たぶんまず家が建ち、余った隙間が路地になったのだろうと思っていましたが、実はそうではありません。生活用水に近づきやすいよう正確に、川と平行に配置されていたのです。町に住むということは、建築もまた町のルールに従って造られるのだという事実を教えてくれています。

2017年6月4日日曜日

船大工の町 宿根木 その4

  薄暗い路地を抜け、町の外れ、海辺の近くでやっと視界の開ける場所を見つけました。この敷地なら、たっぷりと光を取り入れた家が出来るはずと思いきや、やはり窓はほとんど無く、外壁は相変わらず分厚い板で覆われています。
  何故でしょうか?答えは地元の方が教えてくれました。江戸時代、この町は先に触れた「西回り航路」の恩恵を受け裕福な家が多かったそうです。奉行は少しでも多く税金を取ろうと窓の大きさに比例して徴収しました。だから家の広さと高さは限界まで大きくする一方で、窓は極力小さくするようになったそうです。

2017年5月22日月曜日

船大工の町 宿根木 その3


鋭角に交差する道で切り取られた変な敷地。普通なら使い物にならないこの土地も、ここの住民の「建てたい!」という切望の前には何の障害にもなりません。だから三角形の敷地に沿ってこんな家が出来てしまいました。きっと使いにくいだろうなと思いつつも、この奇妙な構図は実にアーチスト好み。僕と同じようにどこかで誰かが眼をつけたに違いない・・・そうです。僕がこのスケッチのを完成させる前に、同じ構図を背景とした吉永小百合さんのテレビCM(JR東日本放映、残念ながら関西の人は見られません)があったとのこと。見覚えありますか?